1948年から販売されたセスナ170は優れた軽飛行機であり第2次大戦中に量産されたスチンソンL-5やパイパーL-21の後継機を模索していた アメリカ陸軍ではこれをベースに新たな観測機を開発する事になった。軍用型試作機はモデル305Aと呼ばれ良好な視界を確保する為、タンデム式コクピットを採用、更にエンジンと機体構造が強化された。翌1949年にはL-19A”バードドック”として 陸軍に正式採用された。1950年に始まった朝鮮戦争に実戦投入されたが頑丈で優れたSTOL能力を有していたL-19は高い実用性を示した。ベトナム戦争でも使用され総生産数は発展型も含めて約3400機に達している。日本をはじめ多くの新米国に供与されたが米軍では1960年代には O-1と改称された。
日本では保安隊時代に日米相互防衛援助計画によりL-19Aの供与を受ける事になり最終的に107機を受領した。これらは草創期の陸自航空の中核となった。 その後、富士重工で国産化が行われL-19E-1を14機、複操縦式となった練習機型のL-19E-2を8機生産された。富士重工製の機体はフラップが電動式になっている。
アメリカ陸軍と同じく陸自でも航空機の主力が 固定翼機からヘリコプターに移ったため減勢され80年代前半に全機用廃となった。
太平洋の海鷲
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