連絡観測機L-19E-2”そよかぜ”
FUJI L-19E-2


(写真上)令和5年10月、立川駐屯地で撮影した連絡観測機L-19E-2(11364)”そよかぜ”
L-19E-2(11364) JGSDF Camp-Tachikawa 2023/10

運用重量:830kg、最大離陸重量:1000kg
全幅:10.97m、全長:7.62m、全高:2.29m
コンチネンタルO-470-11空冷水平対向6気筒×1、出力:213hp/2600rpm、巡航速度:140km/h、最大速度:250km/h、航続距離:470km
搭乗員:2名

STOL性能に優れた日米最後の固定翼観測機、L-19-E2は複操縦式の練習機型

1948年から販売されたセスナ170は優れた軽飛行機であり第2次大戦中に量産されたスチンソンL-5やパイパーL-21の後継機を模索していた アメリカ陸軍ではこれをベースに新たな観測機を開発する事になった。軍用型試作機はモデル305Aと呼ばれ良好な視界を確保する為、タンデム式コクピットを採用、更にエンジンと機体構造が強化された。翌1949年にはL-19A”バードドック”として 陸軍に正式採用された。1950年に始まった朝鮮戦争に実戦投入されたが頑丈で優れたSTOL能力を有していたL-19は高い実用性を示した。ベトナム戦争でも使用され総生産数は発展型も含めて約3400機に達している。日本をはじめ多くの新米国に供与されたが米軍では1960年代には O-1と改称された。


(写真右)北宇都宮駐屯地で展示されている連絡観測機L-19E-2(11366)”そよかぜ”、L-19E-2は複操縦式の練習機型
L-19E-2(11366) JGSDF Camp-North Utsunomiya 2014

日本では保安隊時代に日米相互防衛援助計画によりL-19Aの供与を受ける事になり最終的に107機を受領した。これらは草創期の陸自航空の中核となった。 その後、富士重工で国産化が行われL-19E-1を14機、複操縦式となった練習機型のL-19E-2を8機生産された。富士重工製の機体はフラップが電動式になっている。

アメリカ陸軍と同じく陸自でも航空機の主力が 固定翼機からヘリコプターに移ったため減勢され80年代前半に全機用廃となった。

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太平洋の海鷲

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