試作は日本内燃機が行い主設計者は蒔田鉄司であった。当初、搭載エンジンは水平対向空冷4気筒を考えたが実際には英サンビーム製オートバイOHVを参考にした 45°V型空冷2気筒(排気量1200cc)が開発された。乗車定員は前席2名だがトランクルームに補助席2名分が容易されていた。 走破性は非常に優れており陸軍の要求を十分に満たした。九五式小型乗用車として制式化された。 人員輸送重視の設計で貨物搭載量は少なかったが米独の小型軍用車両と比べてもかなり早い実現であった事は高く評価される。
前期量産型では排気量は1300ccにアップされ補助席は廃止され車体後席1名分が確保され3名定員になった。後期量産型は排気量は1400ccと更にアップされ定員4名と 強化されている。基本設計は優秀だったが合計4775両生産に留まったのは惜しまれるが当時の我が国の国力・生産力からみて止むを得ない事態であった。
太平洋の海鷲