四一式山砲(歩兵用)/TYPE41 75mm MOUNTAIN GUN(Infantry)

聯隊砲

(写真左左/左)
陸自武器学校で保存展示されている四一式山砲は小型化された砲盾(ぼうじゅん)の形状から聯隊砲と呼ばれた歩兵用と思われる。


砲身
・口径 75粍
・全長 1058粍(13.3口径)
・重量 99s
砲架重量 228s
最大射程 6300m
初速  360m/秒
方向射界 右2.5度 左3.5度


四一式山砲は歩兵連隊にも配備され聯隊砲として重宝された

四一山砲は三十一年式速射山砲の後継火砲として開発され明治44年12月に制式化された。
四一式山砲は構造が簡単で軽量小型の火砲であり射程や威力は不足していたものの軍馬による牽引、又は駄載(分解して軍馬に積載)による運搬が容易であるなど実用性に 富んだ兵器で広く普及した。派手さはなく地味だが生産力や資材に限界があった当時の日本の国力実情をよく踏まえた兵器であり三八式歩兵銃や九二式重機関銃など共に 日本陸軍を代表する存在でもあった。四一式の後継として九四式山砲も製造されたが四一式も大東亜戦争終結まで第一線で奮戦した。

四一式は主に山砲兵連隊に配備され 師団砲兵を担う事もあったが満州事変の戦訓から歩兵部隊の火力増強が求められた事により砲兵から歩兵に移管され歩兵連隊隷下の歩兵砲中隊にも配備された。 これら歩兵部隊の砲は四一式山砲(歩兵用)と分類されたが一般には”聯隊砲”と呼び親しまれた。

支那事変・大東亜戦争でも日本軍歩兵部隊行くところ必ずと 言っていいほど四一式山砲(歩兵用)の姿があった。強力な機甲戦力や航空支援を受けられるナチスドイツ軍やアメリカ軍と異なりほとんどの場合、歩兵が 単独で戦うことを余儀なくされた帝國陸軍では四一式山砲は貴重な火力であった。

砲兵から移管された四一式山砲(歩兵用)は歩兵直接支援が主任務であり歩兵に随伴する為の軽快性を高める為、砲盾(ぼうじゅん) を小型化するなどの改造がなされている。
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