三式中戦車/TYPE 3 TANK CHI-NU(武器学校)


(写真上)
陸上自衛隊武器学校に保存展示されている三式中戦車チヌ。茨城県土浦に所在する陸上自衛隊武器学校に保存展示されている三式中戦車チヌは現存する世界で唯一の存在。 ただし、近年は経年劣化が進み部品欠落も目立つ。歴史の貴重な生き証人であり八九式中戦車同様、レストアして動態保存して欲しいところだ。

重量 18.8t(全備重量)
全長 5.731m、全幅 2.334m、全高 2.61m
最大装甲厚 50mm
空冷V型12気筒ディーゼルエンジン、2100ps/2000rpm、最大速度 38.8km/h、行動距離 210km
武装 三式七糎半戦車砲U型×1、九七式車載重機関銃×2
乗員 5名

75mm野砲を搭載した対戦車戦闘を考慮した三式中戦車

三式中戦車チヌは米軍のM4「シャーマン」に対抗出来る四式中戦車チト、五式中戦車チリの配備がはじまるまでの繋ぎの応急兵器的な存在であり一式中戦車チヘの車体に 75mm級戦車砲を搭載し対戦車戦闘を主眼とする戦車として開発された。

チト、チリは完全な新設計であったのでチヌはチハ系列の最終発展型であった。 同時に応急兵器とは言え日本初の本格的な対戦車用の戦車でもあった。47mm砲搭載のチハ改、チヘはM3軽戦車には何とか対抗出来たが昭和18年中頃より 太平洋戦線に姿を見せたM4はM3軽戦車を遙かに上回る戦闘力を有しておりチヌの開発量産は緊急を要した。

九○式野砲を改造した三式七糎半戦車砲U型の 駐退複座機が外部に露出したままであったり車体に比べて異様に大きい砲塔のアンバランスな外観などは開発時間が取れずチヌが突貫作業で 開発された事を裏付ける。時間に余裕があればもう少しスマートに纏められたと思われるのだが。

チヌの大きな砲塔は被弾する確立が高く防御上も明らかに不利だ。 砲塔を小型化するだけでも残存性は向上するはずだが当時の開発状況を考えれば無理な相談だったのかもしれない。

チヌは終戦までに166両された(60〜66両説もある。チヘの生産数もバラつきがあるがチハ系列は砲塔がチハ改、車体がチヘなどの組み合わせも 多くこのような数字の混乱になるのではないだろうか・・・)。

三式中戦車チヌはM4を撃破出来たか・・・?

仮想戦記本の中には本土決戦でチヌがM4の大軍を撃破するシーンが描かれているものがある。
果たしてチヌとM4が戦ったらどの様な結果になったのだろうか・・・

チヌに搭載される戦車砲は当初、九五式野砲の改造砲が予定されたが初速が520m/sと低く対戦車用としては威力不足であり、より高初速の九○式野砲を 改造した三式七糎半戦車砲U型が選定された。 同砲は仏シュナイダー社製の野砲をライセンス生産したもので初速680m/sと当時の日本軍火器のなかでは優秀な部類でカタログ上は1000mで約60mmの貫通力が見込まれた。

しかし、当時の陸軍の見込みでも実戦においてM4後期型の砲塔正面装甲(約85mm)を貫通出来るのは 100mm程度の至近距離と推測されており対M4戦闘では側面や後面からの射撃が基本となったと思われる。

また、装甲は砲塔/車体正面ともに50mmとなったが世界の水準からは明らかに劣勢であり仮にM4と対決しても苦戦は必死な情勢であった。チヌが昭和19年前半 までに支那戦線やインパール、フィリピンなどにある程度の数を配備出来ていればそれなりの活躍が出来たかもしれないが昭和20年以降の戦局ではその戦力価値は 極めて乏しかった、と言わざるを得ない。

チヌには火力増強型が検討されておりチト、チリ用の五式七糎半戦車砲を搭載する計画があった。また、チトの砲塔そのものをチヌの車体に搭載する案もあったらしい。 これらの案が実現していれば1000mで80mm以上の貫通力を有する戦車砲を搭載する事となりチヌの戦力は少なくとも火力においては相当な向上を見たと思われる。

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