一式機動四十七粍砲/TYPE1 47mm ANTI TANK GUN

砲身
・口径:47mm
・全長:2526.5mm(53.7口径)
・重量:154.3kg
高低射界(低姿勢):−11〜 +18°、方向射界:58°
弾量:1.5kg(一式徹甲弾)、初速:830m/s、最大射程:6900m、発射速度 10〜20発/分
放列砲車重量:800kg
人員:13名

TYPE1 47mm ANTI TANK GUN at JGSDF Ordnance School →
(写真右)陸上自衛隊武器学校で保存展示中の一式機動四十七粍砲

昭和11年2月に制式化された九四式三十七粍砲は当時の対戦車砲としては一応満足すべき性能であった。

当初は九四式で十分との認識が大勢であったが一方でソ連軍の機械化戦力の増強は急であり、これに対抗し得る47mm級対戦車砲の重要性も徐々にではあるが 認識されつつあった。そこで各種試験データを得る目的で試製九七式四十七粍砲が製作された。

ここで得られたデータを元に試製機動四十七粍砲が試作され研究開発が 続行されて昭和17年9月に一式機動四十七粍砲として制式化されている。


米軍M4戦車にとって一式機動四十七粍砲は強敵だった

一式機動四十七粍砲は一式徹甲弾を使用した場合、約1000mで約50mmの装甲板を貫通させる事が出来た。
500m以内では60〜70mm程度を貫通出来た。M3軽戦車(正面砲塔装甲38mm)やM3中戦車(同51mm)には十分対抗出来た。 戦争中盤以降の連合軍の主力戦車であるM4戦車(同85mm)には部が悪く少なくとも正面からの戦闘は決定的に不利だった。しかし、M4の側面(装甲38mm) に対して500m程度の距離では十分に貫通させる威力があった。

戦争後半、硫黄島や沖縄でも一式機動四十七粍砲は多数のM4を側面・後面からの射撃で 撃破している。M4にとって一式は油断ならない強敵であった。欧州戦線の現実を考えれば一式は第二次大戦期の対戦車砲としてはとても一級品とは言えないが 相手がM4ならば最低限の性能は有していたと言える。

軽量小型なので船舶輸送でも有利でこのあたりは数値には出ない一式機動四十七粍砲の長所の一つである。 歴史の結果から言えば実現の可能性が極めて乏しかったM4に対抗出来る重火力/重装甲戦車の開発を早期に放棄し一式機動四十七粍砲の生産に全力を傾注するべきで あったのではないだろうか・・・(一式は約2300門量産されている。当時の限られた国力では最大の努力であった)。

なお、一式中戦車などに搭載された一式四十七粍戦車砲も試製九七式四十七粍砲をベースに開発されており本砲とは兄弟砲である。但し一式機動四十七粍砲が53.7口径 なのに対して一式四十七粍戦車砲は48.6口径と若干短かった。その為、初速も一式機動四十七粍砲が830/msだったが一式四十七粍戦車砲は818/msと低く威力も若干 低かったと思われる。本砲の改良発展型として試製機動五十七粍砲が試作されている。約1000mで約60mmの装甲板を貫通させる威力があったが大戦中の戦車の装甲の 強化は著しく更に強力な対戦車砲が必要と判断され開発中止となった。


一式機動四十七粍砲は九四式三十七粍砲と同じく半自動水平鎖栓式を採用。

ガード状の装置は左側に配置される照準手を発砲時の砲身後座から守る為のもの。 10〜20発/分(通常は15発/分)の発射速度があった。トラックで牽引するのが原則でありゴムタイヤが装着されている。

武器学校で展示されている砲の タイヤは現代のものと思われるが実際のものよりタイヤ径もかなり小さいようでイメージがかなり異なる。

大戦後期の米軍主力戦車M4「シャーマン」にとって約1000mで約50mmの装甲板を貫通させる一式機動四十七粍砲は油断ならない強敵だった。

大東亜戦争・日本軍最高の対戦車戦闘:沖縄嘉数の戦い

昭和20年4月の沖縄戦において日本軍史上最高とも言える対戦車戦闘が展開された。嘉数を巡る日米両軍の4月8日から24日にかけての戦闘だが特に戦史に記憶される対戦車戦闘は19日の戦いを指す。

嘉数には第六十二師団を中心にした部隊が展開しており他に第三十二軍直轄部隊も増加配備されていた。その中には一式機動四十七粍砲を装備する独立速射砲第二十二大隊も含まれていた。 19日の戦闘では同隊の一式機動四十七粍砲が侵攻して来たM4を側面から攻撃して瞬く間に数両を撃破、更には他の部隊の火砲や肉薄攻撃で米軍戦車30両中、 22両を撃破して撤退させるという沖縄戦中でも最大の戦果をあげた。

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