九四式の最大の技術的特徴は半自動水平鎖栓式を採用して発射速度を大きく高めた事である。対戦車砲である為、非常に背が低く全備重量も327kgと 軽量であり馬による牽引の他、人力による移動も可能であった。機械力に乏しい日本軍にとっては使い易い砲であった。
九四式徹甲弾を使用した場合の威力は射程約1000mで約20mmの装甲板を貫通、発射速度は10〜30発/分(通常15発程度)と制式当時の対戦車砲としては 水準にある性能であった。昭和14年のノモンハン事件では多くのソ連軍装甲車両を撃破したが第二次大戦期の装甲を強化した新型戦車には到底対抗出来るものではなかった。 それほど当時の軍事技術は日進月歩であり九四式三十七粍砲も短期間で旧式化してしまったのである。大東亜戦争勃発と同時に九四式の限界が露呈してしまう事態が起きた。フィリピンやインドシナ半島において遭遇したアメリカ製M3軽戦車の正面装甲は貫通させる事が 出来ず逆に敵の反撃で苦戦し戦争中盤以降に登場したM4戦車には全く歯が立たなかった。しかし、総生産数は約3400門に達しており戦争後半においても日本軍の 対戦車火器の数量的な主力であり終戦まで第一線で使用された。
機動運搬車も作られた本砲自体は車輪をゴムタイヤ化する機動化はされなかったがトラック牽引を考慮して本砲を運搬する機動運搬車が作られている。 同運搬車に載せたままの状態で射撃が可能であった。
対米英戦緒戦、マレー半島や比島で遭遇したアメリカ製M3軽戦車に対して九四式三十七粍砲は全く役に立たなかった。
九四式や九五式軽戦車は一方的な惨敗を喫した。戦争序盤で早くも旧式化は明白でありその後の対戦車戦闘に大きな不安を残すことになった。
対戦車砲としては旧式化した九四式三十七粍砲であったが軽量小型で人力で運搬出来、かつ高い発射速度を持つ本砲は榴弾を使用する事で戦争末期まで対歩兵火力としては非常に有用な兵器だった。 これは他国の37mm対戦車砲も同様であった。
太平洋の海鷲