四十口径安式十五糎砲
JAPANESE 15.2cm/40 NAVAL GUN

↑ JAPANESE 15.2cm/40 NAVAL GUN JMSDF ETAJIMA School
(写真上)江田島で撮影した四十口径安式十五糎砲
本砲はサイパン島に配備されていたが関係者の努力で日本に帰還し平成26年6月から江田島で展示されている。砲盾(ぼうじゅん)も明治期のもののようだ。

口径:15.2cm、砲弾重量:45kg
最大射程:約13000m、発射速度:7発/分

日清日露戦争勝利の立役者、大東亜戦争でも使用された

四十口径安式十五糎砲は英アームストロング社が開発した速射砲で日本では国産防護巡洋艦「秋津洲」で初めて採用された。但し日本艦艇で本砲を搭載して最初に竣工したのは 英アームストロング社で建造された防護巡洋艦「吉野」である。 性能は極めて優れており日清戦争ではその威力を存分に発揮し黄海海戦などで清国海軍を撃破するのに絶大な貢献を果たした。本砲は日清戦争での勝利の立役者と言える。 この戦訓により日清戦争後の海軍力整備でも本砲の導入は優先順位が高く日露戦争で連合艦隊旗艦を務めた戦艦「三笠」以下、多くの艦艇に搭載される事になった。


(写真上)同じく江田島で撮影
日清戦争では巡洋艦「吉野」や「秋津洲」に搭載され清国軍と交戦したが19世紀後半の兵器とは思えないほど堂々した風格であり日本軍勝利の立役者であった事も納得出来る。

昭和期になると流石に旧式化したが大東亜戦争でも特設巡洋艦の主砲や離島防衛などに本砲が多く使用され米軍と死闘を展開している。
記念艦「三笠」の四十口径安式十五糎砲(復元品)
「三笠」には副砲として本砲を14門搭載していた。
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太平洋の海鷲
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