60式装甲車/JGSDF TYPE60 APC

車両総重量 11.8t
全長 5000mm、全幅 2400mm、全高 1890mm、最低地上高 0.4m
回転半径 7m
エンジン 空冷4サイクル8気筒ディーゼル220ps/2400rpm
武装
 12.7mm機銃×1、7.62mm機銃×1
乗員4名プラス搭載歩兵6名

(写真左)
宇都宮駐屯地で撮影した60式装甲車。この車両は機銃マウントがM1919用のオリジナルである。下の74式機銃用マウントに換装された車両と比較されたい。


戦後初の国産開発APC 60式装甲車

60式装甲車は昭和31年に開発が始まった戦後初の国産兵員輸送用装甲車APCであり60式自走106mm無反動砲と並ぶ戦後第一世代の装甲戦闘車両でもある。 61式戦車と同時期に制式化された事から考えても陸上自衛隊は草創期より戦車に随伴出来るAPCの必要性を認識していたと考えられる。M4やM24と共に 供与されたハーフトラックの影響が強かったのであろうか・・・、もちろん、旧ソ連製 のBMPのような装甲兵車の発想はこの時点では生まれていない。

小松と三菱の競合試作となったが三菱案が採用された

開発は三菱重工と小松製作所の競争試作とされた。試作車両には試製56式装甲車(SU)の名が与えられ小松製にはSU-T、 三菱製にはSU-Uという個別名称が与えられた。専守防衛構想により日本の国内事情での運用を重視した設計であり軽量小型であった。 小松案、三菱案共に装軌式・箱型車体という基本コンセプトは同じだが小松製はエンジンがフロントにあり、一方で三菱製はエンジン が車体中央部にあった。

それが採用の明暗を分けた。エンジンがフロントにある小松製車体は操縦手や 機銃手に対しての排気や熱風の影響が指摘され、第二次試作以降は三菱が担当する事になった。

三菱製SU-Uは車長、12.7mm機銃手、前方機銃手、操縦手、後部兵員室に歩兵6名の計10名を搭載する配置であり後部兵員室には向かい合わせ両側3名分ずつの ベンチシートが設置されていた。73式装甲車のような搭乗歩兵が車内から携帯小銃を発射出来るガン・ポートは有していない。堅実な設計であり”戦場の タクシー”と呼ばれた当時のAPCそのものの姿でもあった。

昭和35年に60式装甲車として制式採用され昭和47年度まで計428両が量産された。製造は三菱・小松で分担され三菱製220両、小松製208 両が生産された。
戦車とAPCの保有比率は1:1が理想とされるが60式装甲車の生産数は当時の陸自戦車数の約半数であった。限られた予算の中では最善の努力であったと 認めたい。

ところで同時期にはアメリカでも装甲兵員輸送車M113が開発・生産されていた。総生産数が64000両に達し世界的ベストセラーになったM113と比較すると 日本だけの装備に留まった60式はやや影が薄い感じもする。車体容積にも余裕があったM113は歩兵10名を搭載出来たが車体が小さい60式は6名しか搭載出来ず、 兵員輸送車としての限界は確かに見えてしまう。日本の国内事情を重視するあまり車体を軽量小型に纏めすぎた事が60式装甲車の将来を極めて限定的なものに してしまったと言えよう。


各地で展示されている60式装甲車

(写真右)
立川駐屯地に保存されている60式装甲車。機銃マウントは74式車載機関銃用に換装されている

(右右)
富士学校で撮影した60式装甲車

(写真右)
宇都宮駐屯地で撮影した60式装甲車


M113と異なり均質圧延鋼板や車体前方機銃を装備し今日の眼で見ても再評価すべき点がある

しかし、60式装甲車にも注目すべき点はあった。車体の軽量化を図る為にM113はアルミ装甲を使用したが60式は均質圧延鋼板を使用した。 アルミ装甲は車体軽量化という面では利点があったもののベトナム戦争や中東戦争では火災に弱いという弱点を曝け出していた。この弱点は旧ソ連の 装甲戦闘兵車BMP-1にも共通している(アルミ装甲は火災に対して直接弱い・燃えてしまう、と言う事ではなく高熱による強度劣化が弱点)。

均質圧延鋼板を使用した60式は防弾や火災に対する備えではM113より有利だったと言える(因みに60式の後継である73式装甲車ではアルミ装甲になっているが 現用主力の96式装輪装甲車は均質圧延鋼板に戻っている。因みに旧西独/ドイツ軍は一貫して均質圧延鋼板を採用している。だが、アメリカ軍は今も新型アルミ 装甲を開発しており国により考え方は様々なようだ)。

また60式や73式などの日本製装甲兵員輸送車は車体前方機銃を装備していた。60式の制式化当時、他国の戦車やAPCは車体前方機銃を廃止する兆候であり その実用性を疑問視する意見も多かったが 車体前方機銃を廃止していたM113はベトナムの森林地帯で 南ベトナム解放戦線(ベトコン)の近接攻撃に苦戦を強いられており60式や73式の車体前方機銃の装備は後に再評価される事もある。 なお、車体前方機銃は新造時はアメリカ軍供与のM1919が装備されていたが後に国産の74式車載7.62mm機関銃に換装され機銃マウントも合わせて換装されている。

平成18年度まで現役を務めた功労者

60式装甲車の最大の問題点は車体が小さく搭載歩兵が僅か6名に過ぎなかった事だった。仮に車体をもう少し大きく設計しエンジンも出力に余裕のあるものが 搭載されていれば更に長期間に渡り多数が生産された可能性もあったと考えられる。 60式装甲車は長く第一線にあったが平成18年度(2006年度)までに全て退役した。


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